デザインにおけるセンスと技術力の相関関係

デザインにおけるセンスとは何か。

「ここをこうすればいいものが作れるだろう」と予想する力であり、
「そのためには色を・レイアウトを・配置をこうすれば〜」と実践できる能力のことだと考えています。

言うなれば、それは多くの場合、経験則によるものであることが多く、
たいてい試行錯誤を繰り返しながら身につけていくものだと思います。
先天的に抜けている人もいますけれど。

ところで、センスと技術力って、あまりに相関しすぎてしまいますよね。

センスとは、試行錯誤によって磨かれます。
自ら手を動かし、幾度と無く失敗と成功を繰り返しながら、
「ああ、こうすればいいのか」とその都度で解決策を探ることで、コツを掴んでいく。

その試行錯誤を助けるのは、技術力とそれに伴う作業スピードです。
技術力がなければ、作業スピードが落ちてしまう。
作業スピードがなければ、必然的に試行錯誤の回数も減ってしまう。

大事なことは、「作業の負担を少しでも軽くすること」なんです。
それによって、作り手は積極的に試行錯誤を繰り返すことができるようになります。

これらの積み重ねによって得られたものは、非常に形式知化(言語化)しにくいものだと思う。
(ちまたに出回る「ノウハウ」は、このセンスを形式知化したものですね。付け焼刃程度に取り込むことはできますが…。)

にわとりと卵のように、「技術が先か、センスが先か」という話ではありません。
お互いが、お互いを補助しあうようなイメージです。

センスって、そんな大それたことではないと思うんです。
だから、まずは手を動かして、自分の中でコツを掴むこと。

そうすれば、技術力もセンスもいつの間にか身についているものです。

過去の自分を否定したがる症候群について

僕は他人を否定することが苦手です。でも、不平不満を無理に抑えているわけではありません。他人様を否定できるほどの自信を持っていないからです。大きなエネルギーが必要な作業なんですよ。

そんな自分にとって、最も否定したくなるのは過去の自分です。

ひとことで言えば、過去の自分を否定することで、現在の自分との変化幅を見出し自己肯定するというリクツです。 「あぁ、あの頃と比べて自分は変われたんだなあ。」と認識することで成長を確認するわけですね。

その際に「過去の自分」像を都合よく歪めてしまうことが多いけれども、なかなかそれを自認することが難しい。

これを「過去の自分を否定したがる」症候群と呼んでいます(そのまんまじゃん!)。 まさに自分のことなのですが、自戒を込めてメモしておきます。

症状

僕のような人は、過去の自分と比べることで、自分がどれほど変化できたか実感しようと日々試みます。

↓イメージはこれに近いかも。

人と自分を比較していたら、比較する相手によって左右されてしまいます。
過去の自分との比較なら、自分の努力しだいで、進歩向上を確実に感じられるでしょう。
「1年前の自分と比べたら、少しは幸せに(暮らせるように)なれた」
このように思える人は幸せでしょう。幸せに暮らす心がけを1年間続ければ、このように思うことは可能なのではないでしょうか
そうすれば、「同じように努力すれば、これからも少しずつ幸せになっていける」とも思えるでしょう。
多湖輝 http://meigen.shiawasehp.net/t/a-tago02.html

かと言って、過去の自分をやたら卑下してしまっては、この比較は意味のないものになってしまいます。
根拠なく「あの頃に比べて俺は変わったんだ!」という自己慢心に陥ってしまわないよう気をつけなければなりません。

例を挙げてみます。

例:「大学時代の俺ってほんとダメだったわ〜。行動力なかったし。(それと比べていまの自分は変わった!)」

  • 過去の自分の欠陥を指摘できるのは、それだけ見識が深まったからと言える
  • 他人と自分を比較するより、差分の少ない自分同士を比べるほうが容易
  • 自分が相手ならどう文句を言おうと反論の心配はなく、ノーリスク
  • 過去の振る舞いを反省する謙虚な自分を演出できる
  • こういうことを考えられてる俺すごくね?

この例では、過去の自分を否定することで現在の自分を「変わった」と認識し、自己肯定を試みています。「変わった」という事実が、心の拠り所になるわけです。

言ってみれば、過去の自分は踏み台なんですね。

でも、本当に変わったのでしょうか? 思い描く「過去の自分」像は、本当に正しいのでしょうか?

歪む「過去の自分」像

記憶というものは思ったよりも曖昧で、時に都合よく過去を解釈してしまうのだと思います。 象徴的な出来事がありました。

先日、住んでいたアパートを撤去すべく片付けに追われていたときの話。ノスタルジーに浸りつつ高校時代の懐かしい写真・卒アルをふと眺めていますと、あの頃の思い出が蘇ってきました。

その瞬間、当時の振る舞いや行動、友達とのやり取りがフラッシュバックし、記憶が矯正されたのです。

もちろん、「過去の自分」像を100%純度で蘇らせることはできません。それでも、幾分かは補正が効くようです。

普段思い描いていた「過去の自分」像をいかに都合よく解釈していたか思い知ることになりました。

もしかしたら、自分はあの頃と大差ないのかもしれない。
まるで挑戦状を叩きつけられたような気分です。ぐぬぬ…。

(まあでも、この「気づき」が自分を今後どのように変化させてくれるのか興味を持ち、結局は楽しい気分になっちゃいましたが)

この症状から抜け出すためには:処方箋

さて、この病の厄介なところは、症状を自認することの難しさだと思います。さらに、自認した上で過去を都合よく解釈していないか省みる機会がなかなか得られないことです。
先の例では、過去の思い出をふり返ることで記憶を矯正し、正しい「過去の自分」像を得るための道標としましたが、同様にまずは過去を正しくふり返るために工夫が必要でしょう。

ざっとこんな感じでしょうか?

  • 過去の自分像を探る(比較対象の明確化)
    • 過去の自分を卑下していないか?と内省
    • 記憶を「正しく」ふり返る
      • 行動記録(ライフログ
      • 写真,日記,カレンダー,手帳など
    • かつての旧友と話してみる
  • 自分がどのように変化したのかを自ら問う(「変化」の具体化)
    • そもそも本当に変化したのか?
    • どの点で変化したのか?
    • 変化したきっかけは何か?
  • 未来の自分に向けた準備(プランニング)
    • 現在の自分は、やがて過去の自分になる
    • 正しく記憶を取り戻せるような工夫をする
    • 過去→現在で何が変化したかを見通すことで現在→未来に活かす
      • 「来し方を顧みて行く末を案ずる」
    • 同じような変化は起こりうるか?
    • 変化を起こしやすくするためには?
      • ただし将来起こる変化で自分がどのように変わるかは決して見通せない

つらつらとここまで書きましたが、これまでの積み重ねはどんなものだったか、あるいは過去の自分はどんなもんだったかと考えるものの、 何が変化したのかは分からずにいます。
ただ、安易に過去を否定せず、「過去の自分」像は正しいか、そして現在の自分はそれに比べてどのように違うかを冷静に検討しようと思うきっかけになりました。

過去の自分を過度に否定せず、自己慢心に陥らないよう注意していきたいと思います。

参考にさせて頂きました。:
http://d.hatena.ne.jp/Erlkonig/20090131/1233402724

JX通信社に就職します

JX通信社さんにお世話になることを決めました。神楽坂にオフィスを構える、小さなベンチャー企業です。メイン事業はBtoBですが、ここ最近は情報収集ツール「Vingow」をリリースし、BtoCにも力を入れています。

JX通信社 公式サイト

決めた理由は以下の3つです。

Vingowを世界で通用するようなサービスにしたい

今はまだパッとしませんが、大いに飛躍の可能性を秘めています。 未来を変えるお手伝いがしたいのです。これは決して大げさな表現ではありません。 使命感を持って取り組みたい。
vingow [ビンゴー] make you smart.

そもそも自分がベンチャー向きの性格

ベンチャーぽい性格してるよね、ってよく言われます。自分でもなんとなーくそう思ってました。 デザイン、プログラミング、営業、マーケティングなどなど実務を通して経験することで、Web周辺のジェネラリストを目指したい。

社長の米重さんに恋をした

23歳、起業5年目。僕はこれからどう生きるか。 -JX通信社代表取締役・米重克洋のブログ

本当に魅力的な方だと思います。彼の可能性に賭けてみたいと思いました。あ、米重さんだけでなく、社員の方々は本当に素晴らしい方ですよ。楽しく働ける環境が整っています。
あとは女性さえいれば!

ざっとこんな感じです。 某大手企業の内定をこのタイミングで蹴ってまで選んだ、いばらの道。 全力で戦っていこうと思います。

最後になりますが、女性さえいればすごく頑張れると思います!

大学生活を大まかにふり返る

2012年になりました。3月には大学を卒業し、春から社会人。節目の1年ということで、今回は大学生活をふりかえってみたいと思います。

東京理科大の数学科に進学しかけた

当時、理系受験だった自分は数学が特に好きで、漠然と数学教師になることを志していました。当時、学校の先生は非常に身近な存在でイメージしやすい職業だったこともあり、中高生時代は教師になる自分を思い描いていたり。
こうした経緯から、東京理科大学の数学科を受験しましたが、選択肢の狭さに自ら懐疑的であったことも事実で、自分の選択肢を模索したいという思いから文理融合学部である人間科学部を受験したわけです。

早稲田祭の広報に携わる

最初に行ったサークルの新歓が非常におぞましく、以来サークルというものに恐怖を抱く。そんなとき、たまたま授業で隣に座っていた男の子に早稲田祭のスタッフになることを勧められ、受動的ではあるが早稲田祭スタッフの一員となりました。
数ある局のうち、一番魅力を感じた「広報局」を選択し、早稲田祭の広報に携わることに(しかしながら消去法だったことは否めない)。これが自分と「広報」「広告」の出会いでした。

第3希望だったデザインチーム

早稲田祭で広報局に配属されたはいいものの、少々自分の意思と異なる「デザインチーム(正確には制作チームと呼ぶ)」に所属することに。全く経験のないデザインを挑戦したのですが、これが思いのほか面白く、どっぷり浸かります。自分の制作したものが世に出る快感はなんとも言い得ず、「自分が発信者になる」ということに快感を覚えました。

暇な期間の補填としてフリーペーパー制作サークルに

早稲田祭は11月に終わってしまいます。早稲田祭が終わってしまうと嘘のようにスタッフの活動は少なくなるのですが、デザインチームだった自分は技術をキープできるような環境が欲しかったわけです。その「補填」として、マグ(フリーペーパー制作サークルに)入部。以降、デザイン担当としてフリーペーパー制作に携わることになりますが、思いのほか楽しく、大学生活のメインになります。

ひょんなことから始めたウェブ

マグの先輩がウェブページをゼロから整備して下さり、出版サークルとしてはかなり優れたウェブ環境を手に入れました。同時に自分はデザイン担当のリーダー、そしてウェブ担当のリーダーに。中学生だった頃からウェブは好きでしたが、この頃からよりヘビーに利用するように。


技術だけの人間にはなりたくなかった

それまで、学生生活の大半はデザイン物の制作に割かれていました。ただ、磐石の技術が身についた一方で、将来デザインを職にする気はなく、「このまま続けることで何になるんだろう?」という戸惑いがありました。
また、技術力だけの人間にはなりたいとは思っておらず、より人間に基づいた能力を向上する必要がある、と強く意識していました。のちに「技術も出来る人になろう」、という考えに変化していきます。

徐々にWeb系の案件が増える

iPhoneのアプリ開発に携わったほか、Webサイトのデザインなどを多数経験。それまで紙媒体を手がけることが多かったため、非常に刺激的でした。同時に、「システムを組む力」がないことを痛感します。プログラミングは未経験で、HTMLとCSSは組めるものの、表層的な部分にしか関与できないことがもどかしかった。一方、「システムを組めるようになれば1人でWebサービスを開発できるのか!」と気づく。

自分が興味を惹かれるものの共通項

就職活動を始めるにあたり、自分がしたいことや自分の内面に考えを巡らせる機会が増えました。「どうしてデザイン?」「どうして広告?」「どうしてWeb?」と、これまで興味を持ったものに対し、なぜ関心を持ち始めたのかを分析し、その共通項を炙り出すことで将来やりたいことを考える道筋を得ようと試みました。結果、自分の原動力は「影響力」であることが分かり、以降、就職活動におけるモノサシに。

Webサービスのアイデアを考案

ゼミで電子書籍を扱っていた経験から、Webサービスのアイデアを発案。現在も開発を行なっています。予てより経験のあったWebデザインだけでなく、アイデアのブラッシュアップ、組織マネジメント、そしてプログラミング等、非常に刺激のある経験を得られました。また、開発を通じてより一層Webに対する関心が強くなり、「さらにWebに関わりたい」と考えるように。

落とし所はやはりWebだった

就職活動では7~8割がIT企業、他に広告やメディア系の企業を受けていましたが、特に興味を惹いたのはWeb系企業でした。ユーザとの距離が非常に近く、「影響力」という点でドンピシャ。自分のやりたいことに、心から合致していると考えました。結果、運よくWeb系の企業で働ける見通しが立ち、来春から自分の大好きなWebに関わることに。


で、結まるところ、将来携わりたいのはなんだろう...?って考えると、着地点はWebだったんですよね。

春になったら、どんな社会人になるんでしょう。しばらく経ったら、このエントリーを見返してみます。